概要
主体と代謝的社会学について
「主体と代謝的社会学」は、主体を軸にした社会学はどのようなものだろうか、という問いから生まれました。日本の近代史を語る上で重要な概念である〈主体〉は、多くの人たちの主体的な実践を通して、時代とともに絶えず変容してきました。
日本語の〈主体〉は英語の〈subject〉や〈subjectivity〉に相当する概念ですが、両者の焦点は異なります。〈subject〉が階級・ジェンダー・民族などの社会的属性における定位を出発点とするのに対し、〈主体〉は活動の次元から人間を捉えます。この差異は、社会変化をどこに帰属させるか——社会的属性といった構造的なものなのか、活動と相互作用する物質的環境なのか——という方法論的な問いに直結しています。
このサイトでは、国語学者である時枝誠記(1900–1967)の言語過程説を経由しながら〈主体〉を紹介します。時枝はソシュールの構造的言語学を批判し、言語をパロール(個人の発話)とラング(言語体系)の二重構造に還元するのではなく、〈主体〉が〈場面〉において〈素材〉を通して行う活動の過程として論じました。言語とは構造ではなく活動である——このテーゼは、社会学をも問い直します。社会をより動的に、身体を伴う活動を通して生成・変容するものと理解する場合、〈主体〉がどのような〈場面〉を捉え、〈場面〉がいかにその活動の条件をつくるかを問わなければなりません。活動を通してしか理解されえない〈主体〉を中心に据えた社会学——それが代謝的社会学の出発点です。
代謝的社会学が「代謝的」であるのは、社会・生態学的な生を維持しているのが主体的活動にほかならないからです。カール・マルクス(1818-1883)は、資本主義経済が環境と社会の相互的な物質交換を構造的に断ち切ることを「代謝的亀裂」として批判しましたが、代謝的社会学は〈主体〉の活動を通して、断絶から代謝的な連続性を取り戻す試みです。代謝的社会学はまた、1960年代に丹下健三(1913-2005)を中心に展開されたメタボリズム建築運動の「メタボリズム」が参照する考え方にも共通点を見出します。丹下らが都市・建築を固定した構造としてではなく更新・再生し続ける有機的プロセスとして捉えたように、代謝的社会学も社会を均衡状態に向かうシステムとしてではなく、〈主体〉の活動によって絶えず自己を更新する過程として捉えます。
代謝が重要なのは社会生態系領域だけに限りません。太陽光の届かない深海底では、熱水噴出孔や冷水湧出帯の周辺に、硫化水素やメタンなどの還元的な化学物質を多く含む酸素の乏しい水と酸素を含む海水が混ざり合う境界領域が存在します。この酸化還元境界と呼ばれる領域では、硫化水素やメタンといった還元的な無機物質を酸化する代謝活動からエネルギーを得て、そのエネルギーで二酸化炭素を有機物へと変換する真正細菌(eubacteria)や古細菌(archaea)と総称される微生物が発生することで知られています。これらの細菌は化学合成と呼ばれる過程によって、太陽光の届かない極限環境においても一次生産を担い、独自の生態系を築くことができます。またこれらの細菌は、生命の進化を知る上で重要であるだけでなく、火星や、木星の衛星エウロパなど、地球外生命の可能性を探る手がかりとしても考えられており、様々な分野でその能力が注目されています。
代謝的社会学は化学物質ではなく存在論的勾配の領域を対象としますが、考え方としては化学合成生物を媒介する微生物群集と類似する能力を価値づけていると思っています。それは、位相の異なる世界から視差を見出し、そこに生じるずれを、代謝的活動を通して媒介する能力です。もしかしたら私たち人間の主体的能力は生命の起源に近い細菌のはたらきに由来するのかもしれませんが、荒廃していく生態系を再生し、芽吹き始める生態系を活性化する活動は細菌から人間までのあらゆる生命のレベルにおいて共通します。人間一人ひとりがこの能力をより意識的に理解しながら伸ばせるようにし、生物文化多様性豊かな社会生態系を紡いでいくことが代謝的社会学の使命であると考えています。代謝的社会学の目指す姿と指針は「Vision & Mission(目指す方向と指針)」のページをご覧ください。
研究
〈場面〉の理論と実践
心理学者ジェームズ・ギブソン(1904-1979)が提唱した「アフォーダンス」とは、環境が生き物に対して提供する行為の可能性のことです。〈場面〉は、このアフォーダンスとして知覚されるものであり、活動と環境が互いに影響しあいながら共に変化していく——いわば「構造的カップリング」——を生み出します。里山や里海がその典型例です。人々の暮らしや生業が自然環境と長年にわたって響きあうことで、豊かな生物多様性と生産性をもつ場所が生まれてきました。このような〈場面〉の理解は、自然を人間が支配・管理する対象として見る世界観から、人間と自然が敬意をもって相互に関わりあう関係へと転換することを求めるIPBES(生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学-政策プラットフォーム)の「トランスフォーマティブ・チェンジ(変革的転換)」を考えるうえで有効な概念として理論化することを目指しています。
このような〈場面〉理論の実践として作ったのが、「Weaving Bamen onto the Folds of Yato(谷戸の折り目に場面を紡ぐ)」と「Tracing Geohydrological Pathways across Miura Underground(三浦半島の地下水路を追跡する)」ストーリーマッピングのページです。
横須賀の谷戸は、軍港の設立・拡大とともに全国から人々を集め、軍事・商業・外交・教育などの施設とともに宅地化が進んだ地域です。現在は空き家の増加が社会課題として取り上げられることが多く、坂や階段の多い地形は高齢者には住みづらく、かつての活況が戻ることはないかもしれません。しかし谷戸には、縄文時代から人々が暮らしてきたことを物語る遺跡が眠り、今も手入れされた畑や竹林が残り、ハイキングやロッククライミングといった文化的な生態系サービスも充実しています。
衰退と豊かさ、断絶と継続——谷戸はそのねじれを地形そのものに刻んでいます。このプロジェクトは、一方では谷間と傾斜が織りなす地形のひだに、記憶や記録に残された数々の〈場面〉を紡ぎ込み、もう一方では谷戸の地形そのものを、地層と地下水路が織りなす複雑な網状の〈場面〉として追跡する試みです。そうすることで、何億年という地質学的な時間から数十年という人の記憶の時間まで、幾重にも堆積した記憶にカタチを与え、地形自身がそこに刻まれた歴史を語り出すようにすること——それは、時代の断絶から新たな何かを見出すためのヒューリスティックでもあります。
シラバス(案)
〈場面〉の変容過程とねじれ
主体の系譜学
〈場面〉の構造的カップリングと、その活動を通して形成される主体の変容過程をメビウスの帯として描いたのが「Bamen as Surface(表面としての場面)」のページです。ここでは、〈主体〉が存在へと向かって動きはじめ、存在を可視化し、次に不在を可視化し、最終的に不在をなくすことで新しい社会的現実を紡ぎ出す——その位相幾何学的な変容の過程を示しています。存在と不在を織り交わすようにして形成されるソーシャル・ファブリック(社会を織りなす布)とそれを織り出す当の〈主体〉は、日本近代史における〈主体〉の系譜を辿ることでより具体的な姿を見せてきます。そこで、「日本近代史における主体の系譜学」というシラバス(案)を下に用意しました。
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再生のための位相幾何学的社会学
メビウスの帯のねじれ部分——活動と環境の断絶が創造性と再生の源泉になる瞬間——に焦点を当てたのが「Bamen as Heuristic(発見手法としての場面)」のページです。ここでは、哲学者ロイ・バスカーの批判的実在論が示す現実生成の4つの次元を枠組みとして、それぞれに対応する存在論・創造的活動・〈主体〉の性向を整理しています。この枠組みが示すように、新たな現実は断絶から偶発的に生まれる部分もありますが、意図的な介入も欠かせません。ただしその介入は、一方向的な働きかけではなく、相互的で創造的なものです。教育学者の上田薫(1973)が「裏通りの論理」と呼んだように、新たな社会的現実の創出には、正面突破ではなく迂回と発見を重ねるような思考が求められます。こうした実践知から「裏通りの論理」を引き出し、それに支えられた社会学の構築を目指して、「再生のための位相幾何学的社会学」というシラバス(案)も下に用意しました。
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